ブハラにあるイスマーイール・サマニ廟(写真1)は、892年から943年の間に建てられたイスラム初期の様式の霊廟です。また、中央アジアに現存する最古のイスラム建築です。日干し煉瓦を様々な模様で積み上げていて、この凹凸の違いによって、太陽や月の光の方向や強弱により壁面の表情が変わる、すばらしい建築物です。
1220年のチンギス・ハーンの来襲によりブハラは灰燼に帰しました。この時、イスマーイール・サマニ廟はほとんど土中に埋もれており、周囲も墓地であったため、気づかれずに、幸いにも破壊を免れました。
壁面の模様をよく見るために近づいてみました。驚いたことに、日干し煉瓦を接着する目地から白いもの、多分塩でしょう、吹き出しています(写真2)。煉瓦の表面にも付着しています。目地はもろくなり、今にもぽろぽろとはげ落ちそうな箇所もありました。写真1をご覧になって下さい。手前の建物角の土台部の色が少し白く変色しています。この部分が特に影響を受けています。普通、煉瓦の目地にはセメントと砂を練り合わせたモルタルが使われますが、ここでは煉瓦と同じ種類の土が使われているようです。
ソ連時代の無謀な自然改造計画によりアラル海が消失していることはご存知でしょう。砂漠を農地に変えるために数多くの大規模な運河が造られ、大量の水が使用されてきました。このためアムダリア、シルダリア両河川からアラル海に流れこむ水量が激減したためです。さらには、運河の多くは護岸施設がない素堀りであったために、大量の水が地中にしみ込み、地下水位の上昇を引き起こしました。その結果、土中の塩分が水にとけ込み地表にしみ出し、広範囲な地域で農地に塩害をもたらしました。
ブハラ周辺も同様な灌漑施設が建設されたことでしょう。イスマーイール・サマニ廟のすぐ隣にも人造のサマニ湖が造られています。当然地下水位は上昇し、時には廟の土台部にもしみ込むこともあったでしょう。壁面の塩の吹き出しの原因を特定するには詳しい調査が必要ですが、地下水位の上昇の影響も検討する必要がありそうです。
もし本当であれば、モンゴルが破壊できなかったイスマーイール・サマニ廟を、人間が引き起こした環境変化が静かに破壊しています。
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