カザフ人は元来遊牧民でしたが(話題107)、ソビエト時代、1930年代に大規模な定住化政策が実施され、カザフ人の多くは農耕民や都市住民となりました。国立博物館に展示していたジオラマを写真1と写真2に示します。これはいつの時代の農作業でしょうか?カザフ語とロシア語の解説しかないので、よく分かりません。英語の解説を整えることが、ここ国立博物館の次の課題です。
ラクダが脱穀や粉引きの農作業に使われています。ラクダのイメージは砂漠を行く隊商の乗り物です。カザフスタンでは話題107の写真1にある部族の移動時の荷役にも使われていました。農作業にラクダは新しい発見です。遊牧から農耕定住への移行期間に使われたのでしょうか?ソビエト時代の集団化農業には写真3のようなコンバインのような機械が大規模に使われたのでしょう。
定住化や農業集団化はカザフスタンに大きな悲劇をもたらしました。1920年代末から30年代はじめにかけ、農業集団化と飢饉により、カザフスタンでは膨大な人口が失われました。長らく極秘であった1937年のセンサスを見ると、1926年に607.9万人であったカザフスタンの人口は、37年には482.0万人となっています。これらの数字が正しければ、11年間に125.9万人減少したことになります。
この大飢餓は今なおカザフ人の記憶に強く残っています。友人の父親は、当時幼少でアスタナに住んでいましたが、家族のうちただ一人この大飢餓を生き延びたそうです。
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