“ワット・ナ・プラマーネ“黒石仏(Black Stone Buddha)の写真を再度紹介します。モン人によるドラバラバティ王朝(6世紀〜13世紀)時代のものとされています
ここでドラバラバティ王朝を説明した機会に、ガイドさんから説明があったタイの歴史を整理しておきます。
(タイ族による国家建設以前)
- モン人(ビルマ)の国ドラバラバティ(6 – 11世紀)
- マレー人の国シュリービジャヤ
- クメール人(カンボジア)の国クメール
(タイ族による国家)
- スコータイ王朝(1238 - 1438年)
- アユタヤ王朝 (1351 - 1767年)
- トンブリー王朝(1767 - 1782年)
- チャクリー王朝(1782 - 現在)
スコータイ王朝から現在のチャクリー王朝まではみなさんご存知だと思いますので、それ以前の王朝について簡単に説明します。
モン人によるドラバラバティ王朝はチョオプラヤ川下流域を中心に広がり、仏教を信仰する高度な文化を持っていたとのことです。シュリービジャヤは大乗仏教を信仰する国で、スマトラ島からマレー半島に至る広い地域で海上交易を行っていました。クメールは、ご存知のようにアンコールを首都とする王朝で、タイ東北部はもとより13世紀はじめにはタイ全土をも支配していました。